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天宮良 さん

【プロフィール】
あまみや りょう
【出身地】 東京都
【小笠原来島歴】 1992年頃2回
1984年倉本聰脚本による「昨日・悲別で」(NTV) でデビューし注目を浴びる。
以後、「ビートたけしの浅草キッド」(ANB),「おべんきょう」(TBS),「葵徳川三代」(NHK),等のテレビ、「ブライトンビーチ回顧録」「グリース」「エンジェルス・イン・アメリカ」といった舞台でも活躍、86年にはゴールデンアロー賞演劇部門新人賞を受賞。
映画は88年「山田村ワルツ」, 93年「滝廉太郎物語-我が愛の譜」, 94年「棒の悲しみ」, 98年「風の歌が聴きたい」等。
舞台では99年「そして誰もいなくなった」,01年「空のかあさま」,02年「暗くなるまで待って」,「ハムレット」,03年「ピルグリム」、そして06年グローブ座で上演された「第32進海丸」では鰹を追う土佐の男勝りの漁師を熱演し好評を得た。
大林映画出演がきっかけで始めたトライアスロンは、各大会に出場し、無事完走を果している。
【小笠原へ来島した時の思い出・お祝いメッセージ】
 
 小笠原諸島返還40周年おめでとうございます。
僕が小笠原諸島の父島に初めて行ったのは、「イルカに会える日」という映画のロケで、今から14-15年前のことでした。その時は、大きな客船で2日がかりで行ったので港に降りても1日中体が揺れていたのを覚えています。今だから正直に言っちゃいますが、僕がこの映画の依頼を引き受けた最大の理由は、ロケ地が父島だったからです。以前からダイビングが趣味だった僕は、仲間から父島周辺の海の美しさを嫌というほど聞かされていました。小笠原は、ダイバーなら必ず潜らなければならない海なのです。ある日、マネージャーからこの映画の台本が届き、ロケ地が父島と聞かされ、僕は台本も読まずに即出演OKの返事をしたのでした。父島は本当に美しい島でした。飛行機が飛んでないせいか、沖縄のように大企業が観光事業に乗り出していないので、形ばかり綺麗で自然破壊をしかねないリゾートホテルがまるで無かったのは、嬉しかったな-。今はどうなのかわかりませんが、当時は信号は一つだけ。テレビもNHKとBSだけで、民放は映らない。2回目訪れたとき、民放が映るようになっていて、勝手ですが少しがっかりしました。港前のメインストリートが賑わうのは、おがさわら丸が入港した日の数時間だけという、本当に緩やかな時が流れる穏やかな島でした。思わず日本であることを忘れて、何処か架空の国に来たみたいな錯角を感じました。
  父島で潜るなら小笠原ダイビングセンターしかないと、友人の水中カメラマンに紹介を受け、出番の無い日は、毎日センターの船で沖に出て、海に潜っていました。今思えば、役者にあるまじき行為です・・・(苦笑)。僕が父島を訪れた時期は4月でしたので、丁度クジラの子育ての時期とぶつかり、海の外からも中からもクジラと出会うことができました。特に海中での対面は、とても神秘的で、今でも鮮明に覚えています。海の中に入ると四六時中「ク〜ンク〜ン」というどこか切なげな泣き声がすぐそこにいるように聞こえ、探せども探せども姿は見えず!突然、海の中が真っ暗になったと辺りを見回すと、なんと頭の上をクジラの親子が悠々と泳いでいるのです。あまりの感動と驚きで「すっげ〜!!」と大声を上げ、レギュレターを口から飛ばしてしまったほどです。
  とにかく、父島の海はダイナミックで且つ神秘的です。時間に余裕があるなら、毎年訪れたいものです。これからもどうか美しい小笠原の海と自然を大切に大切に守っていってください。ここ数年ご無沙汰してしまっていますが、来年辺りにまたうかがえたらと思っています。
天宮良
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