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白井貴子 さん

【プロフィール】
しらい たかこ
【出身地】 神奈川県藤沢市 
【小笠原来島歴】 1996年から2回
1981年デビュー。「CHANCE」のヒットをきっかけに女性ポップ・ロックシンガーの先駆者的存在に。その後、様々な分野に活動を広げ、環境や自然をテーマとした活動を行う。また、昨年デビュー25周年を機に「TAKAKO & THE CRAZY BOYS」の活動を再開。
2007年2月神奈川県初の環境大使に就任。
同年5月環境省「3R推進マイスター」に就任。
CMナレーションでも数々の賞を受賞。歌にTV・ラジオ・演劇、環境問題や国際交流イベントにも出演。

【小笠原へ来島した時の思い出・お祝いメッセージ】
 
小笠原諸島返還40周年、おめでとうございます!
今年、私は20年ぶりに80年代のバンド仲間と共に「地球」HOSHIというニューアルバムを作りました。
地球環境悪化が叫ばれる昨今、この私達を住まわせてくれている「美しい地球」
へ感謝と敬意の思いを込めた応援歌のようなアルバムです。
そのアルバムの最後を飾る曲に「潮騒」という曲があります。最後の一節は

どこへ行くの 私の島よ 
どこへ行くの 私の愛よ   

この曲を書く根底には、いつも私の心に深く刻まれている、あの小笠原のどこまでも蒼い海が広がっています。
小笠原といえば、忘れもしない1996年、私が生まれて初めてNHKの「ひるどき日本列島」というお昼の生の旅番組でレギュラーパーソナリティーを担当した時に第一回目で訪れた地です。
  ちょうど私も「一度しかない人生、音楽ビジネスばかりに力を注ぐ前にもっともっと理想の音楽を創るためには経験しなくてはいけないことが沢山ある!まずは地球という自分の住処ともっと向き合いたい!」と決心を固め、それまで長年お世話になっていた大手事務所を独立した直後だったので、小笠原との出会いは私にとって物凄いタイミングでした。
  2日目のロケに長年の夢だった「ホエールウォッチング!」に行きました。生放送中に果たして鯨に出会えるのか!?ハラハラドキドキでしたが、波はかなり高く、残念ながら生放送中、鯨には会えませんでしたが、実は前日に電波テストのために船を出した時、私の目前約200メートルほどにザトウ鯨がジャンプ!私はその迫力に思わず、無意識に手を合わせていました!それは単純な感動を通りこし、生まれて初めて見る世界一大きな生き物にまるで神様にでも出会ったかのような畏れを感じ、自然と手を合わせていたんです!
  幼い頃からロック好きで、反抗心が強く、いつも自分本位で何かに対して「手を合わせる」なんて志尚な心は持ち合わせていなかった私にとっては大事件!
「人が手を合わせるということはこういうことなのか?」とその行いの源を教えられました。生命同士の掟とでもいうのか、自分も地球に生きる沢山の命の中の塵のような小さな一粒なのだと気づいたんです。今思うと、私にとって小笠原はまさにりっぱな大人になるための「地球の洗礼の地」でした。
地球をまるで半分に切り取ったように360度、原始の姿そのままに広がる大海原!
初めてのダイビングも経験しました!潜って直ぐ、私の目の前にサメが!
この話を色々な方にすると「白井さん!それは初めてじゃなかなかない凄い経験だよ!」ってよく言われます。反対に「最初が小笠原だったら、きっとどこの海もたよりないでしょ?」とも言われて、うれしいやら悲しいやら。
私はもう小笠原の海じゃなきゃ納得しない体になってしまったのかも!(笑)
小笠原の海は音楽でいうとエッジが利いてるかっこいいロックな海なんです!
現在、私は鎌倉に住み、毎日のように海を見ていますが、海をみるたび小笠原のどこまでも深く青い海、それはそれは大きなザトウ鯨、私が番組内で放流した亀達がこの鎌倉の海の向こうにいるんだ!と思うだけで幸せな気分になります。
  昨年から自分の故郷、神奈川県の環境大使を務めていますが、神奈川県も年々、海岸や山がやせ細り、子供たちに「自然を大切に!」なんて言葉をかけるのはかえって酷だと可愛そうになるような現状を思うと、日本の本島、海の先にそれはそれは豊かな小笠原の島々と海があることを沢山の子供達にもっと知って欲しい!できるならまずは小笠原を体験して欲しい!と心から思います。
  そしてそんな素晴らしい島が日本の国であるということは、何よりも自慢です。
「どこへ行くの 私の島よ」 それが愛という二文字へと末永く続くよう、心からお祈りしています!小笠原に乾杯!

白井貴子
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